2019.08.19

富士山と夏の雪

富士山日記第81号(執筆者 環境省 富士箱根伊豆国立公園管理事務所 三浦克己)

今年の8月15日は、たまたま満月でした。満月の夜のことを「十五夜」といいますが、これは、一ヶ月を月の満ち欠けの周期に近い29日とする太陰暦に基づいており、一日目(朔日)が新月に、十五日目が満月に常に対応していたためです。「五月雨(さみだれ)」〈梅雨〉のように、旧暦に関する言葉は日本の自然現象と季節感をよく反映しているのですが*、明治維新後に一年を365日とする今の太陽暦にとって代 わられました。
 

さて、月の暦が用いられていた古代(8世紀頃)の和歌集『万葉集』には富士山を詠んだ歌が十余首採録されており、高橋虫麻呂という人による次のような一首があります:
 

 富士の嶺に降り置く雪は六月(みなづき)の 十五日(もち)に消ぬればその夜降りけり


旧暦では第六の月を「みなづき(水無月)」と呼び、「十五日」の読みは、もちろん満月の和語である望月(もちづき)のことです。太陰暦の六月十五日が太陽暦のいつに当たるかは年によりますが、2019年では7月17日のようです。

したがって、今日風に歌意を言い替えると、「富士山頂付近にあった残雪は7月中旬の満月の日に融けきったのに、同じ日の夜にまた雪が降り積もったよ」となります。夏の盛りと冬の到りが同時に訪れたような、奇妙な感覚でしょうか。標高の高い富士山上部では理論上海水面高度より気温が22度前後低くなるとはいえ、こんな時季に麓から視認できる位の降雪があったという描写は、なかなか興味深いものです。

富士宮ルート八合目標高3500m付近の雪渓(7月15日)
今年の7月15日に、富士宮口から富士山頂まで登った時は、九合目万年雪山荘付近(コース外)にはまだ雪渓が残っていました。天候は良くありませんでしたが、気温はさほどには下がらず、6度以上はあったかと思います。

つまり、千数百年前のある年では、積雪が少なかったのか、今年より雪が融けるのが早かった一方で、かなり冷え込んだということになります。逆に言うと、温暖化の影響なのか、今は昔より暑く、降雪が多いと推察されます。こうしたことは、当然雪代(雪崩)の多寡や草木の生育にも影響します。宝永火口も青木ヶ原樹海もない当時の富士山は、一体どんな様相だったのでしょう…

なお、現代より平均気温が低下したとされる「小氷期」に対応する江戸時代、延亨三年(1764)に詠まれた長歌にも、「…六月の 照日のそらに あらはれて くもるともなく とこなつに ゆきぞふりける ふじのたかねは」という箇所があります[『賀茂翁歌集』]。
吉田ルート八合目標高3200m付近(7月2日)

万葉集では、山岳信仰で知られる立山の万年雪(ないし氷河)についても詠われています:
 

 立山に降り置ける雪を常夏に 見れども飽かず神柄(かむから)ならし


「神柄」というのは神性のことで、「~ならし」は詠嘆です。この箇所から、里では暑さが増す季節でも、純白の雪を戴いている高山に、読み人がある種の神々しさを感じていたことが窺えます。

山頂を訪れたことのある人は御存知の通り、富士山では火口内に雪が通年残っています。お鉢巡りでよく耳を澄ましていると、融けた水が流れる音が聞こえますが、こうした山上の雪解け水が湧水として山麓にもたらされ、やがて田畑を潤すという自然の仕組みも、往時の人々は理解していたのかもしれません。
 

お鉢内の雪(7月24日)

今では7月に雪が積もるということはなさそうですが、記録によれば夏に上部で雪が降ることはありえます。 ただし登山の安全を考える上では、雨か霙や雪になるかどうかは問題の本質ではないので、体が濡れた状態で寒さにふるえるようなことがないよう、天候の変化や気温に十分注意して登山の計画を立てて下さい。

※旧暦と季節感:今日的には(北海道や沖縄を除いて)雨季と言えば6月であり、「五月雨」がなぜ〈梅雨〉で六月が「水無月」なのかイメージがわきにくいかもしれませんが、これは旧暦の五月が、概ね今の6月頃に相当するためです。このように、古い季語と現代の暦にはしばしば齟齬があります。なお、「梅雨」の表記は漢語に由来し、梅の開花期とは直接関係ないようです。