2021.10.11

富士登山の歴史に触れる —須山口登山歩道を歩こう!—

富士山日記第102号(執筆者 環境省 富士箱根伊豆国立公園沼津管理事務所 刑部美鈴)

富士山閉山を迎えて

あっという間に夏が終わり、空に浮かぶ雲や道端に咲いている草花にも季節の移り変わりが少しずつ感じられるようになりましたね。
富士山が閉山してから早くも一ヶ月がたとうとしています。
(現在富士山は登山道・山小屋ともに閉鎖されています。※富士宮口五合目~六合目を除く)

今年の夏は開山から閉山まで富士山にかかわってきましたが、コロナ禍の中初めての取り組みもあり色々と大変な中での開山でした。

富士山開山期間の登山者数を環境省がまとめたものをHPに掲載しておりますので、興味のある方は以下のリンクをご覧ください。(4登山道の八合目付近に赤外線による登山者カウンターを設置しています。)

須山口登山歩道とは!?

さて富士山は閉山し、現在は山頂まで行くことができませんが、皆さまは須山口登山歩道をご存じでしょうか。

静岡県裾野市の須山浅間神社を起点として、水ヶ塚公園を通り富士山の山頂に至る昔に使われていた登山道です。須山口登山道が開かれた年代は明らかではないそうですが、1200年6月の「末代為証拠三ヶ村立会書付事」の文書の中に須山口登山道の存在を示した表記があるようです。

宝永四年(1707年)の噴火により、須山口五合目辺り(現在の宝永山の辺り)が噴火して登山道が崩落し、須山口登山歩道は一時途絶えましたが、約70年後の安永九年(1780年)には須山村の人々の努力により復旧したとのことです。


須山浅間神社 境内にはおよそ五百年前から存在している杉の木がいくつかあるそうです

今回は富士登山の歴史の一部を垣間見ようと、須山口登山歩道の須山浅間神社から水ヶ塚公園までの間を歩いてきました。

須山浅間神社付近

須山の地元の方々が平成9年~11年にかけて須山口登山歩道を再興したそうで、その時につけられたと思われる須山口登山歩道という標識がきちんとしており、住宅街のなかでも迷うことなく進むことができます。

こんな感じで標識がきちんと出ています

昔からあったと思われる道祖神(地域や集落の境に置いて、外からやってくる疫病、 悪霊など災いをなすものを遮ろうとするもの)も見られ、古道歩きや歴史の好きな方には昔の方々の生活を感じられるものがたくさんあり面白いかと思います。

道祖神 昔の方たちと同じものを見ているかと思うと面白いですね

住宅街や道路を歩くのはほんのわずかで八割は山道を歩きますので、登山靴のほうが安心です。

雲がかぶっていますが歌碑の後ろには富士山が見られます

昔の人もこの景色を見ながら歌を詠み、富士山を目指したのでしょうか。

水ヶ塚公園に向かう途中には、このような雰囲気の良い森の中を歩くところがあります。 このあたりは道も平坦なので花や植物を楽しみながら歩くことができます。

こちらは弁当場の写真。
昔の人が富士山に登る途中に弁当を食べた場所かと思いそうな名前ですが、源頼朝が1193年にこの地で巻狩を行っており、貴重な湧水地の一つであり炊事場であったことからこの名前が付いたそう。まったく私の想像とは別ものでした。

後半は徐々に急な登り坂になっていきますが、案内看板を見失わないように進んでいくと水ヶ塚公園に到着します。
須山浅間神社からは約5時間程度の道のり。標高差も900m程あります。結構しっかりした山登りですね。

来年は須山口登山道から富士山山頂を目指そう!

なぜ富士山に昔から現代まで多くの人が惹き付けられ、様々な思いを持って登りにやってくるのか、今年度富士山にたくさん登ってみて感じたそんな気持ちが、富士登山の歴史を紐解くにつれなんとなく分かるような気がします。

五合目からの富士登山を経験した方は、来年度はぜひ一度昔ながらの登山道を歩き、昔の富士登山に思いをはせてみてはいかがでしょうか?!

*今回こちらの日記を書くにあたり須山口登山歩道保存会の資料および裾野市のHPを参考にいたしました。